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同性婚合法化、国民投票で決めるのは「侮辱」?

マイノリティーの権利を巡る国民投票では激しい議論が繰り広げられる。マイノリティーの権利がそもそも基本権かどうかという問いも大きな争点だ Keystone/Imagebroker

スイスでは26日、同性婚を法律的に認めるかどうかを巡って国民投票が行われる。マイノリティーの権利を多数決で決めることに、問題はないのか?

このコンテンツは 2021/09/14 08:30

ドイツ・フランクフルトのゲーテ大学で教鞭を執るライナー・フォルスト教授(政治理論・哲学)にとって、民主主義は「(国民が)一緒になって、普遍的に正当化された規範の実現を目指す政治行為」であり、その基礎となるのは「対等な者同士の尊重」だ。となれば、マイノリティーの自由を巡る国民投票は同氏にとって民主主義に反するのか?スイスでは26日、同性カップルに対して結婚、養子縁組、生殖医療の利用を認めるべきかどうかを問う国民投票が行われる。

国民投票の争点がマイノリティーの人々の基本権であれば、それは「垂直の投票」だとフォルスト氏は指摘する。なぜなら、その場合は多数派が、少数派の基本権を認定する権利および拒否する権利を持つことになるからだ。こうして民主的プロセスは優位な多数派に悪用されると、同氏は語る。

そこで同氏は、「寛容」という言葉は慎重に使うべきだと訴える。この言葉の裏には、多数派の主張、つまり「(少数派は)好きなように生きてよいが、だからと言って同じ権利が持てるわけではない」というメッセージが隠されていることがあるからだ。歴史で繰り返されてきた権威主義的な「許可の寛容」がここにも表れていると、同氏は指摘する。例えばカルヴァン派の新教徒ユグノーは16世紀、特定の地域でしか宗教を信仰できず、一定の条件下でなければ教会を建設できなかった。ユダヤ人コミュニティーも同じような状況にあった。「現在ではミナレット(イスラム教寺院の尖塔)やLGBTQの平等に関する問題がそれに当たる」(フォルスト氏)

二流市民

「寛容」という言葉は、こうした階層的な意味がある点で問題だと、フォルスト氏は考える。なぜなら、寛容とは対等な人たちが互いを認め合うことではなく、単に多数派が少数派を容認することを指すからだ。同氏はこうした寛容を民主主義、多文化共存、男女共同参画を脅かすものだと捉える。また、「大目に見るとは、侮辱するということだ」としたゲーテの言葉を借り、「この寛容は『侮辱』だ。寛容な扱いを受けた人が二流市民として見なされるからだ」と語る。

寛容という概念は、正義や平等、人権に結びつくことで初めて価値ある存在になる。だからこそ、「激しい議論の後に、保守派が多文化共生やジェンダー平等の原則を容認できるようになっていることが極めて大事だ」とフォルスト氏は強調する。そして民主主義の未来は、「有権者が社会をいかに公平に形成していけるかにかかっている」と話す。

痛みを伴う寛容は美徳

フォルスト氏の考えに基づけば、「基本権を侵害する規範や価値観が多数派によって法制化されない限り、社会は機能し、公正なものになる」ということが言える。同氏は「許可の寛容」に代わるものとして、マイノリティーを対等に認める「尊敬の寛容」を提唱する。婚姻の権利を与えるかどうかを問題にするわけではないため、その国で支配的な価値観は脅かされないという。だからと言って、公正、平等、民主主義、人権といった規範を堂々と要求してはいけない、というわけでもない。「しかし、それらを要求するのであれば、(そうした規範からそれないように)もっと自らを律する必要がある」

痛みを伴う寛容は美徳だとフォルスト氏は言う。「しかし、不公平であることはもっと大きな痛みを伴う」

「投票は多数決原理の確認」

スイスの法学者で国民党所属の国民議会議員、ハンス・ウエリ・フォクト氏にとって、同性婚の合法化を問う国民投票はスイスではごく普通の案件だ。同氏は「多数決原理が働く民主制では、決定を下すのはいつも多数派だ。無論、立場の弱いマイノリティーの利益や権利がそのせいで侵害されることはある」と言う。同氏は例として国家予算を挙げる。新たな国家予算は多数決原理で決定されるが、マイノリティーもその基となる税金を負担しなくてはならず、財産権などの基本権が侵害される。

「実際的な必要性」

フォクト氏の考えでは、多数決原理は悪いものではなく、実際的な必要性に基づくものだ。同氏は「多数決を採らないのであれば、誰が決めるのか?」と語り、少数派が多数派に関する事柄を決めることはできないと指摘する。

さらに同氏は、スイスでは多数派が常に変化しているとし、スイスには「マイノリティー」はないと言い切る。ある日曜日の国民投票でいくつかの案件が問われたとしても、あるグループが支持する案件のうち一方は可決され、他方は否決されることはあり得るという。また、多数派は規模が一定であったり、いつも同じ類の人たちで構成されたりしているわけではないため、スイスの民主主義が脅かされることもないと、同氏は考える。国民投票の結果は特定の多数派によるものではなく、常にその当時の政治的状況や、国民投票で問われた案件の具体的な内容に左右されるという。

主流文化としての法秩序

フォクト氏は「スイスの制度の素晴らしい点」として、スイスの法秩序は独裁者が決めたものではなく、国民が作り上げたものであり、比較的容易に変更できる点を挙げる。同氏によれば、多数派は常に変化するものであり、多数派の政治的イデオロギーもまた新たな規範的秩序へと常に変化する。この規範的秩序とは主流文化のことであり、多くの国民が政治参加することでオープンなものになるという。

また、「主流文化」という言葉には政治的にネガティブな意味合いがあるが、それ自体に問題はないとフォクト氏は言う。「(主流文化の)価値観は、一国の法制度に表される」。例えば「結婚は2人の間で行われるものとし、3人以上の結婚を認めない」というのは、主流文化の一部を法制化した例だという。

フォクト氏は最後に「最新の世論調査結果によれば、同性婚の合法化案は国民投票で可決される公算が大きい」と述べ、「そうなれば、主流文化も、関連する規範的秩序も変わるだろう」と締めくくった。

(独語からの翻訳・鹿島田芙美)

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